保護者の皆様への話 森のようちえん 2020年05月10日 3日の新学期に保護者のみなさんに話をさせていただいたことを、少しずつ再掲します。みやしろ森のようちえんでは、⚪⚪教育のような方法論に依存しません。子どもたちの自主性や独創性を育てるのに、その環境づくりの段階で思考停止の状態になりたくないからです。PR
ありのままの自分 森のようちえん 2020年05月10日 「良い」「悪い」「望ましい」「避けるべき」という対立する価値観を示しているのではありません。両方正しくて、両方間違っている。ただ、言えることは以下のことです。・ベクトルがちがうので、いいところ取りはできない・目的に合わない手段は無効で、苦しみしか産まない・転向は今日からでもできる・見分ける方法は明確にできる・「ありのままの自分」を強調するのは、嘆かわしい状況
除草作業 森のようちえん 2020年05月10日 加須の研修農園で米作りを学んでいます。ここ数日は、時間を見つけては除草作業をしています。作業の大変さは、田植えを基準に考えていました。ところが、一度植え付けてしまえば終わりの田植えと比べて、株元を何度も撫でるような除草作業は、何倍も大変です。近所の農家の方々から「昔の作り方って、昔だってあんなことやっていなかっただろう」とからかわれています。それくらい大変なのですが、だからこそ、わかったことがあります。これだけ手間と、時間と、労力をかけても、ちっとも米作りをしている、という実感がありません。お日様と水と、300倍になる力を持っている稲の力に感嘆するばかりで、自分で何かをしている気がしないのです。機械で作れば、米を生産している気持ちが湧くかもしれません。手と足を動かして、その中で感じていれば、私が何かを育てている、などとおこがましく思えるので不思議です。
美点 森のようちえん 2020年05月10日 人の欠点と美点は、性格上の同じ傾向であることがよくあります。これは、一般論ではなく、多様な価値観を認め合うとしたら、前提となる重要なことです。欠点を隠そうとすれば、美点が発揮される機会も減ります。器用な子どもほど、青年期に自分の存在意義に悩むのかも知れません。ありのまま、というのは野獣のように生きる、という意味ではありません。自分の欠点と美点とを、同じように扱えるように、自分自身を知ることだと思います。これは、大人の手で、こねくりまわして作れるものではない、と私は思っています。子どもたち自身が、自分で試して手応えを感じながら、身につけていくものだと信じています。狭い部屋の中では、この試す機会よりも、ほかの子に迷惑をかけないことの優先度が高まります。森のようちえんには、気持ちの逃げ場があり、目先を変える多様なきっかけがあり、それでも生きているいのちの逞しさがあります。(柴山)
話す時間 森のようちえん 2020年05月10日 みやしろ森のようちえんでは、子どもたちが、どのように過ごしていたか、口答で説明しています。森の中での活動中は、子どもたちの安全管理に集中させてはいただきたいからです。お子さんの性格や家での過ごし方やなど、話す時間が少なくて、不安にさせてしまうこともありますが、遠慮なくなく、思ったことを口にしていただけるとありがたいです。子どもたちの気持ちに近い時間にしたいと、いつも思っています。